todo

この前、todoリストが一向に減らないからいよいよ見直そうと思って、見てみたのだが、よくよく見ると金を使う用事ばかりだった。つまり、ほとんど欲しいものリストみたいになってしまっており、そのうえ軍資金が無いから処理完了にならず、ずっとリストが片付かずにいる。そういう事に気付いてしまった。

これは本当に残念な事だ、と思った。

やりたい事、するべき事のリストが、消費活動で埋め尽くされている、だなんて。いかに自分の人生が実りの少ない、薄っぺらいものなのか、ということを、このリストは赤裸々に示しているのだ。

なるべく、意味のあることをやろうと思う。何か素敵な事を。そういうtodoを追加していきたい。

ブスとバカ

電車乗ってたら誰々がブスのくせにどうたら、ブスがなんたらって散々言ってる口の悪い小学生女子がいて、でもそいつの顔見たらすげえブスだったんですよ。そのうち嫌でも気づかされる筈だし、いつか必ず訪れるその時を思ってしまってウッ!ってなってしまった。あいつは性格の悪さボーナスも付くし、中学に上がるタイミングとか、どっかで絶対ハブられてしまうだろう。一緒にいた聞き役の女の子もいずれいなくなる。

しかし顔はいいよね、見れば分かるから。だから早々に客観的事実に気付かされる。でも頭の悪さは主観によって自己観測できないので、強烈なバイアスがかかって(認知バイアスに弱いのもバカの特徴だ)俺こそが正常で俺を理解できない周りの人間が皆バカなのだ、とずっと思い込んでいたりする。バカは自分がバカなのだということを知らない。

斯く言う俺も自分が思ってる以上にバカなのかも知れない。

youtuber

この前初めて有名youtuberの動画をいくつか見たのだが、金がかかり過ぎていたのでスポンサーの存在を疑った。というか確信した。ちなみにそのスポンサーとは他でもないyoutube自身だと思う。つまりあれは「youtubeはこういう感じで利用してね」というプロモーションだと思う。

スポンサーの存在を隠して「ただの素人が作った面白い動画」のように見せかけているのは、模倣者の出現を期待しているから。そのための呼び水だからだ。自分にもこれくらいできる、自分ならもっと面白くできる、と思って頂かないと意味がない。「わあ…、スポンサー付いてるからこんな大掛かりなことができるんや〜…」なんて思われてしまっては意味がない。出演者と視聴者の同質性は必須条件なのだ。

その動画を楽しんでもらう、という一次的な効果が目標なのではなく、それを真似してもらう、という二次的な効果こそが真の目標だった。でもその結果、滑舌の悪いおっさんがクソみたいな動画撮って、再生数一桁で地層みたいに埋もれてる、という現実しか生んでないならまあ失敗してるじゃん、というところだ。知らんけど。

ブラック企業の源流を辿ると旧日本軍に行き着く

これは俺が考えた言説じゃなくて、元々そう読み解く人がチラホラいた。考えれば考えるほど、全くその通りとしか思えないので俺もそう考えている。

日露戦争の頃、日本兵の士気はそれほど高くなく、現場放棄・敵前逃亡などが大きく問題になったそうだ。そしてその反省を活かし、「人の命は馬よりも軽い」「特攻して玉砕せよ」「国のために美しく散れ」という洗脳を徹底的にやって臨んだのが太平洋戦争だった。

それはそれは大変なことに、国を挙げて徹底してやった。子供の頃から徹底的に叩き込まれた。社会にはプロパガンダが溢れ、極端に全体主義で脅迫的な価値観が植え付けられた。全て富国強兵のための、国家によるキャンペーンだ。

社会がそれ一色に染まっていた時期がずっと続いて、その中で子供時代を過ごした人からすれば、それが当たり前だしそれ以外を知らない。戦争が終わってもずっと尾を引くのも無理はないだろう。そしてこれは良くできたミームとして世代間伝播し、ブラック企業の源流となったのだ。別の言い方をすれば虐待の連鎖のようなものだ。苦しめられた人は次の世代を「同じやり方で」「自主的に」苦しめ始める。

ちなみに言えば、あのブラック国家北朝鮮の源流もやはり日本にある。昔を知る老人はすぐに気付く事だが、北朝鮮は気味が悪いほど軍国主義時代の日本にそっくりで、現人神のように祭り上げられる金総書記は明らかに天皇の模倣だった。近年ではそろそろ独自の進化を遂げているように見えるが、僕らが子供の頃の北朝鮮といえば正に「昔の日本」を滑稽にしただけの存在だった。当時日本の統治下にあった北朝鮮にもこのブラック国家ミームが伝播し、未だに生き続けているのだ。

余談だがおそらくこの先の展開も同じだろう。もしも北朝鮮の体制が崩壊したとしても、国民のメンタリティがすぐさま変わるわけではない。そのあとは雨後の筍のようにブラック企業が乱立するだろう。丁度戦後の日本がそうだったように。「彼らはそのやり方しか知らない」からだ。

つまり、日本人は元々人命を大切にしない民族だった、みたいなことを言う人もいるんだけど、俺が思うに、やはり第二次大戦を境にこうなったのだと思う。高々ここ70年くらいの話だ。

「元々こうだった」という考え方は、昔からこうだったから永遠に変えられない、元来こうなのだからそれを受け入れるしかない、という諦めに繋がってしまう。でもちょっと待てと言いたい。元々という言い方をするなら、多分、元々日本人はもっといい加減だったのだろう。敵前逃亡するいい加減な日本兵の姿というのは少し新鮮な気もする。でも多分それが本来の日本人の姿なのだと思う。まあ、知らんけど。

ATOK買った

ATOK2017。Mac用のやつを買った。これはOSX(今はMacOSに改名されたっけ)標準のIMEにあまりにも我慢ならなくなったからだ。

特に心底イラついていたのは数字入力絡みで、「にかげつ」と平仮名で数字を書いても「2かげつ」と数字キーを使って書いても全く同じように学習される、というあたりの挙動がもう本当に限界だった。「一日」とかそういうのはアラビア数字使って書きたくないし、漢数字で変換して確定するんだけど、それで学習されちゃって、次に12345円みたいな数字を書こうとすると毎回「一万二千三百四十五」みたいな候補を出してくる。毎回、出してきやがる。ついでにライブ変換を使っていたのでその漢数字でうっかり確定されちゃったりして本当に気が狂いそうだった。数字キーを使って12345みたいな数字を入力する時ってそう入力したいから入力してるわけで、そんなんいちいち漢数字に直されて喜ぶやつがどこにいるんだよ?

まあいい。もうATOK買ったから昔のことは知らん。標準のIMEをうまく使う方法もあったのかも知れないけどもうどうでもいい。

ライブ変換はそれはそれでクソな時もあったけど、それに慣れてしまっていたので、無くなったのは少し気持ち悪い。また慣れるまで少しかかりそうだ。

キーバインドを割と自由にカスタマイズできるのは良さそうだ。CTRL-Gで入力中の文字消去にしたのでemacs使ってる時に便利。M-x でコマンド打とうとした時に日本語入力になってるとクソイライラするが、その時CTRL-G連打でemacsの操作ミスのキャンセルまでできる。

第一印象としては高がIMEに色んな機能載せすぎな気がするが、まあしばらく使ってみる。

善意はアテにならない。仕組みが必要だ。

あくる朝、僕はこんなツイートを見た。

これは正に痴漢問題に対して俺が考えていること、前回の記事で言いたかったことを完璧に表現してる。人のフンドシで相撲を取るぜ!そうだよこういうことだよ。

それから、この人が言うように、社会のあらゆるところでこの問題を目にするというのもやはり同意する。「バイトにも責任があります!」と威勢良く叫ぶ奴隷長(社員)や、生活保護受給を阻む市役所の水際作戦なんかも全部、やはり根は同じだと思うからだ。問題の発生原因を全面的に個人に帰することで、それを生み出した本当の(構造的な)原因が隠されてしまう。

女性専用車両

こんなツイートを見た。

そもそも「お前らどうせ痴漢しちゃうから」という理由で女性専用車両が用意されてるのって物凄く不名誉なことだよね、と初めて思った。

一方で、あれだけ人権を無視した鮨詰め状態では、自分の意に反して接触することもあるのだから、本来銭湯のように男女別になっていて然るべきだ、という考え方もそれはそれでごく自然な答えだと思う。(イギリス人は鮨詰め状態を想定せずにこの議論をしているんだろう。)

実際のところ完全に男女別にすれば良いと思う。男性専用車両も用意して欲しい。7人掛けだと左右の奴と肩がぶつかるので5人掛けくらいにして欲しいし、顔にぶつかるから低い吊り革もやめて欲しい。車両のデザインは「どんな人が乗るか分からないけどなるべく弱者にも配慮して設計しなければならない」という要件があるはずなんだけど、男性専用・女性専用に絞れるならもう少し改善できるはずだ。

 

しかし現状、あんな奴隷船みたいに一度に大量に運べば運賃:コストのパフォーマンスは破格に良いはずで、日本の奴隷たちがそれに文句も言わずに乗ってる以上、JRからしたら知らん顔してこの状態を維持するのが最も得だろう。(男性専用車両のために再設計・開発するなんてそんな無意味で金のかかること真っ平御免だろうし勿論それも実現しない。)のらりくらりと鮨詰め運用を続け、痴漢を放置し、この状態でうまい汁吸ってるJRが一番悪い。

もう一つ、いくら鮨詰めでも接触を避けようと思えば避けられるし、自分の意思で触らなければ絶対に痴漢は発生しない。痴漢はあくまで痴漢が悪い。

でも捕まらない公算が高いならやるだろうし、捕まえられないから無くならない。それが人間というものだ。

 

ところで「痴漢が可能となる場を提供した」というのは罪に問えないのだろうか?「女が売春することを知りながら個室を提供した疑い」で売春防止法違反になり逮捕、というのは良く聞くが、では「痴漢が行われることを知りながら鮨詰め運行を続けた疑い」でJRを提訴することはできないのか? JRは痴漢が容易く可能となる過密状態(同時に検挙が極めて困難となる状態)を作り出し、痴漢の手助けをしている。積極的に幇助しているとまでは言えないにしても、ほぼ完全にネグレクトしているのは事実だ。痴漢を「許容している」と言っても良い。

JRはこれを「痴漢はあくまで痴漢が悪い」というモラルの問題に帰結させ、合理的な対策を取らされることから逃げようとしている。「一応対処しました」というポーズがあの女性専用車両なのだろう。そしてこれは更に巧妙かつ悪質な罠であると思う。女性専用車両に乗らない女が悪い、だから痴漢されても仕方がない、というクソ理論の成立を可能にするからだ。痴漢問題に対する女性専用車両というJRの答えは、問題の矛先を逸らし視点をすり替えるためには低コストかつ最高のソリューションだったと言えるだろう。

 

痴漢はあくまで痴漢が悪い、それから痴漢される女も悪い。(何故かJRは槍玉に挙がらない。)

 

ルールを変えて構造的な変革を図るべきなのに、現場の運用とか、当人たちの努力や責任で目先の問題に対処しようとする。日本人の悪いところが良く現れていると思う。これはブラック企業とか、ブラック部活動とか、そういうもの全てに通底する問題だ。個人が攻撃対象になり、その状態を作り出した構造的な問題が隠されるのはすごく愚かだと思う。