夢日記

ダウンタウンに面白いやつ全員殺してこいって指示されて、お笑いなんとかフェスみたいな番組の楽屋で、芸人をみんな殺すことになった。最初は4人くらいだからこっそりサイレントキルしていこうと思っていたんだが、芸人の増えること増えること、20人くらい入ってきて楽屋が一杯になってしまった。こんなに増えるとは予想外だった。これじゃやりづらいし、すぐバレてしまうと思った。

でもやった。

あまり苦しめるのは可哀想なので頭蓋骨にナイフを突き立て、一瞬で即死できるように殺していった。罪悪感とかはなかった。作業っぽかった。

ある若手芸人に殺す前、「これ痛くないんですかね?」みたいに聞いたら、そりゃ死んでるんだから痛くないっしょ!みたいな意味のことを言われた。この人すげえ面白いな、と思った。これから伸びる若手なのかも知れない。でも殺した。頭にナイフを突き立てて苦しまずに即死できるように殺した。勿体無かったかなと思った。

その後さまぁ〜ずが入ってきた。ああ、さまぁ〜ず殺すの勿体ねえなと思った。大竹も三村も殺さないといけなかった。

 

それから俺は良く分からん小さい工場みたいなところに仕事に行った。親方がボイラーみたいな機械を操作していた。なんの仕事か分からない。ここに警察が待ち構えているかと思ったが、まだいなかった。親方も俺の凶行のことは知らないみたいで牧歌的な感じだった。

未来のある若手芸人、それからさまぁ〜ずを殺したことで、やっと俺には後味の悪い罪悪感のようなものが芽生えて、それからいつ警察に捕まるかも知れないというスリルを感じた。そして、多分俺は死刑になるんだろうと思った。1人や2人殺したわけじゃない。20人くらいの大量殺人だ。多分俺は死刑だろう。

死ぬのは別にいいと思った。自殺する手間が省けるからちょうどいい、とも思った。

平成

ところで平成年間終わったら「平成女学園」みたいな名前のヘルスはどうするんだろ。改名するのかな。

 平成初期の頃の「平成」って新時代の象徴みたいにすごく新しくて今風な語感だったけど、そろそろ今の「昭和」みたいな扱いになるじゃん。そしたらBBAしか出てこない店だと思われちゃうじゃん。大変じゃん。

積みゲー消化

steamで昔買った積みゲーを消化しようと思い、ダウンロードしてプレイを始めた。まずはlost planet 2だ。ムービーが長い…。とにかく長い。つまんねー!さすがにもうスキップしようと思ったが、何を押してもスキップできない…。終わってる。映画作りたきゃ映画監督やれよ。

クソ長くてスキップできないムービーを見せられたあと、やっと少しばかりのゲームプレイになる。クソ簡単。でも1ミッションがすごく短い。当時のコンソール機のメモリの都合なのか?それを最後まで行って次へ進むとまたムービーを見せられる。やはりスキップできない。うんざりする。ムービー終わってようやくプレイできるようになった瞬間イライラして味方に発砲してしまう。死ね死ね死ねバーカ!って。うぜえ、クソ。3つ目くらいのステージまで行って、もう最後のチェックポイントに到達すると反射的にストレスを感じるようになってしまい中断した。死ね。バーカ。

こいつらがスーパーマリオ作ったらやっぱりステージ1-1と1-2の間でもクソ長いムービー挟むのかなあ…。初代ファミコンが現役だった当時はリソースの都合上そんな真似できなかった。でも、できるならやったのかなあコイツら。そういう疑問が沸々と湧いてくる。土管に入るのが苦痛になるだろうな。

 

これがリリースされた当時のことが良く分からないんだけど、ムービーゲー全盛の時代なのか?正直この時期の和ゲーが一番つまんなかったと思う。JRPGとか揶揄され始めたのもこの時期じゃないかな。知らんけど。ちょっとした暗黒時代に顔を突っ込んでしまった。最悪だ。

例えばCoDのシングルみたいに、ゲームプレイとストーリー上の演出がうまく融合してれば全然いけるんだけど、全くプレイできずにムービー見せられてるだけの無駄な時間が、ゲームの中に独立して存在してしまっていて、これはデザイン上致命的な欠陥と言っていいと思う。

 

あと結構前の一時期、steamのインディーズゲームや何かの宣伝で100%GAMEPLAYを謳ってるのを良く目にした。それはこういうムービーゲーに対する明確なアンチテーゼだったんだと改めて思った。

バイオハザードとかも結構最近のまで操作不可時間がやたら長かったし(やはりそれで中断してしまった)、この頃からほとんど改善されてない気がする。どうして学べないんですかね。

一度築き上げた地位にあぐらをかいてるうちに海外メーカーにどんどん抜かれていってしまう。ゲーム業界も他の業界と全く同じようにして衰退していってるのは面白い。面白くねえよ。

 

iOSのUI

俺が初めてiPhone買ったのは4の時で、そこで初めてiOSに触った。その時は通知センターもコントロールセンターもなかったし、静的なアイコンがただ並んでいるだけなのも簡単過ぎると思った。

その時俺は「これは考え抜かれたシンプルさだ」「あえてこうしてるんだろう」と思った。これは老人や子供などでも使えるユニバーサルUIなのだと。

 

iOS11の変更点を見た。こうして色々UIが便利に複雑になってくると「結局そっちへ行くのかよ」って思ってしまう。本当にただ複雑さが増していってパソコンみたいになりそうだけど、それは違うんじゃないかなあ…。何か哲学の不在を感じてしまう。

BLAME!

原作はほぼリアルタイムで読んでいて、未だにこれを超える作品にはそうそう出会うことがない。「伝説的マンガ」などと言われるが、そんな最大限の賛辞も大袈裟ではないと思うくらいの名作だ。

何千何万階層もある広大な空間(設定では(建設者の無作為な増築によって)木星軌道を超えるほど成長していたはず)を、探索者キリイが無限の旅を続ける。終わりのない廃墟・巨大建築の中を。その途中、文明の痕跡や、今でも独自の生活を続ける集落に出会う——。この雰囲気は本当にエモい。唯一無二と言っていいほどの叙情性がある。

キリイの探し求める“ネット端末遺伝子”。大き過ぎる望みだ。しかしそれさえあれば世界の混沌状態に終止符を打つことができる。これこそが無限の旅を続ける動機であり、言うなればこの作品におけるマクガフィンである。作品の構成上、最終的にそこに辿り着くかどうかは問題じゃない、とも言えるだろう。果てしない探索の旅の、一歩一歩の過程にこそ、この作品の精髄がある。

誤解を恐れずに言えば、これは男性の精神世界そのものだと思う。時々誰かに出会ったり、また別れたりしながら、当て所もない旅を続ける。大いなる目標に向かって、孤独な旅を旅する。この太古の原型的なモチーフを、ハードSFとして未来の中に映し出している。

別にSFが特に好きという訳ではないので、俺にとってはこれがSFである必要はなかったが、しかしこの独特の雰囲気を成立させる為にはSFである必要があったと思う。

 

今回BLAME!が映像化されたので、これを見るためにNETFLIX登録した。

その感想を適当に書く。

 

CGアニメなんだけど、動きが大きい割にフレームレート低いので見づらいと思った。目で追いづらい。もし手描きでやってたら多分ああいう動かし方はしないんだろう。手描きアニメ数十年のノウハウが活かされてない・という気がする。全体通じて映像的には物凄く高レベルってわけでもない。…しかし最初にキリイが重力子放射線射出装置を撃った時の演出で大満足してしまった。それで全部許した。元は取った、という気分だ。あとは全部オマケでもいい。

キリイ喋るの遅過ぎるし池沼っぽいと思った。正直言って魅力がない…。残念だ。キャラが立ってない。原作のキリイは、クールで顔には出さないけど実は感情に左右されていて人間らしい部分がある、そんな男だ。死にかけのおっさんに「医者が来たぞ」と温かい嘘をつくようなやつだ。おっさんが死んで何を思うのか——。しかしキリイは何も語らない。男だろう。言わなくたって、分かるんだよ。言葉なんて必要ないんだ。そして黙って歩き出し、また旅を続ける。そんな男の背中が、言葉以上のことを語ってるんだぜ。BLAME!というのはそういう作品なんだ。

(声優は詳しくないのだが)シボの声は耳触りが良くて気に入ってしまった。特に最初のゾンビ状態の時。原作読んでる限りではもう少し違う印象だった気がするが、これはこれで悪くなかった。

 

映像化の都合上、ストーリーがちょっとずつ変えられてて、まあそこまで違和感はなかったしそれは別にいいんだけど、悪く言ってしまうと「原作からいくつかモチーフを拝借して繋ぎ合わせただけの間に合わせ映画」という感じだ。製作者の原作への愛というのは、正直俺はあまり感じなかったかな。

今回電基漁師の集団を軸に物語が進んでいく。のだが、そもそも人間の感情に焦点を当てちゃダメだろうと思った。それはBLAME!の魅力じゃない。そういうのは旅の途中に垣間見えるからいいのであって、そこを主軸に据えちゃダメだろう。この辺考えると、そもそも作品の魅力を分かってない気がする。

原作を知る人にとっては、あのBLAME!が映像化された、ということで意味がある。事実そこそこ楽しめたし、まあそんな悪くなかったと思う。ただ一見の人が、予備知識なく見始めてもすごく面白い…という感想にはならないんじゃないかな。と思った。